アカデミー賞を獲った『ラ・ラ・ランド』を観て、人生は「即興」の積み重ねに過ぎないと気付かされた。《天狼院通信》
天狼院書店店主の三浦でございます。
正直言うと、僕はミュージカルがダメです。
なぜダメかと言われると困るので、まあ、とにかく、ダメなんです。
けれども、どうしても映画が観たく、しかし、歩いていける範囲には他に観たいものがまるでなく、言ってしまえば、至極消極的に、この映画を観ることにしました。
映画館の中に入ると、『君の名は。』のときは、おっぱいが好きそうな中学生男子に囲まれて観たんですが、今回はもう女性たちしかいない。ほとんどが女性たちが友達で来ている感じでした。
僕が観た、天神の映画館では、ざっと見たところ男性率は20%に満たなかったと思います。
ああ、しまった、と思いました。
そうなんだな、ミュージカルとは、主に女性が観るものだったんだ、と入って早々、来たことを後悔しはじめました。
しかも、冒頭、なんと、突然歌い出す・・・・・・。
それを観て、あ、やっぱ、ダメだ、と思ったんです。
しかし、まあ、映画を途中で立つのは勇気が入ります。僕が座ったB−7番は、結構真ん中付近で、左右が、女性たちでコルクされている。なんだか、女性たちの膝を超えていくのもなんだかなーと思い、うつらうつらと途中で居眠りしつつ、観ました。
――が、結果から言えば、とてつもなく良かった!!!!!!
いやー、やばかったですよー!!!!
僕の場合、前評判も聞かずに、あれ? アカデミー賞の作品賞間違えられたほうだっけ? 獲ったほうだっけ?
誰が出るんだろ? 監督って誰なんだ?
と、ほとんどヴァージン・スノー状態で観たので、何の先入観を持たずに観ました。
ミュージカルが苦手であるという意識以外は。
この作品では、ジャズがキーになるんですが、これが、やばいんですね!!
このジャズの「即興」という要素を、高次元において、この作品は具現化して、「即興」という要素で、遊び尽くしているんですね!!
最後のあの持っていき方って実に面白くて、これってジャズの本質に迫るんじゃないかと、鳥肌が立つ思いで観ていました。
考えてもみれば、あらゆるコンテンツは、「即興」の集積でしかないんですね。
今書いているこの文章だって、僕が勢いに任せて「即興」で書いている。
部分、部分も即興であり、ある程度行き着く先が決まっていたとしても、どう着地するかも、作り手でも100%は把握していない。
そんな先行きの見えないものだからこそ、コンテンツの制作というのは面白いんじゃないかと。
そして、ひいては人生もそうなんじゃないかと思ったんですよ。
人生は、おしなべて、即興の連続であって、即興の積み重ねがその人の歴史となり、その集積が社会の歴史となる。
どの瞬間に、どう変わってもおかしくはなく、ただ、運命として、今固まってしまった過去を、絶対の正義のように思ってしまう。――いや、ある種の諦観がそこにはあると僕は思うのです。
たとえば、100万部のコンテンツがあったとして、それは結果であり、歴史である。
けれども、小さく見て行くと、それはあるクリエーターのある瞬間に生まれた「即興」に他ならないんですね。
「即興」が積み重なり、結果として、100万部のハイパーコンテンツとなる。
そして、たぶん、その「即興」は連鎖して生み出されるのだろうと思うのです。
今回、この映画は、このコンテンツ・クリエイティブにおける本質を、遊びに遊びまくった作品なんだと僕は感じました。
それなのに、意図的ではなく、たぶん、シンプルに男性と女性の引力の話にしてあるからそうであって、そんな大それた実験が映画の最中になされているというのに、もう、最後は泣けてしまうんですね!
もう、途中から、あれだけミュージカルが苦手だった僕が、歌ってくれ! はやく歌ってくれ! と心の中で唱えているんですね!
それで、主人公が歌い始めたときには、もう得も言われぬ感動が身を包みます。
やばいんです!
最後のカタルシスは半端なく、なんというか、「即興」の積み重ねである人生において、「成功」とは実につまらない尺度なのだろうと改めて思い知らされました。
「成功」とは、自分が感じるものではなく、相対的に他人が感じるものなんですね。
自分にとっては、一生懸命の日常でしかなくて、ただ、他の人が羨望したり、嫉妬したりするときに、色濃く浮き上がるのが、「成功」という概念だろうと思いました。
ともあれ、『ラ・ラ・ランド』。
これ、観なきゃ、まずいでしょう。
フルスロットルで、様々なこと、考えさせられます。
それでいて、泣けるんです。じんわりと。
いやー、やばい映画観たなと思った博多の夜でございました。
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